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2013/02/25

愛する浦河がずっと賑やかであるように―まさご

「ラーメン・餃子 まさご」の大久保さんにお会いしたのは、私が10月に浦河にやってきて2日目のこと。体験移住者のために、町役場の方が町内を案内してくれた時でした。釣りや山菜採りを愛する大久保さんは、移住者が町を楽しむことをお手伝いする、移住アドバイザーのひとり。一緒に町を案内してもらったご夫婦が、浦河で秋鮭釣りをしたいということもあって、お店に立寄りました。大久保さんのTシャツに短髪という風貌はまさにラーメン屋さんの店主なのですが、名刺交換した印象はビジネスマン。意外な感じがしました。その時、歓迎の手みやげに渡してくださったのが「ひぐまの黒餃子(日高昆布餃子)」と「行者にんにく餃子」。引越したばかりで、まだ冷蔵庫も空っぽな私たちへの心遣いのようにも思えて嬉しかったのを覚えています。その晩、早速頂いた餃子は、それぞれ日高昆布の旨味、行者にんにくの旨味がしっかりと感じられました。それぞれうたわれている素材がたっぷりと使われ、丁寧につくられた餃子であることが、伝わってきました。



はじめて、お店に伺ったのは、移住して2週間ほどたった頃。中途半端な時間だったこともあって、お客さんは私ひとり。16年前に札幌でのアパレルの仕事を辞めて、実家が営む銭湯の一角で、そのお客さんのニーズが高かったラーメン屋をはじめたこと、「浦河餃子」と名付けた数種類のオリジナル餃子は、浦河や北海道の豊かな食材をふんだんに使っていて、東京でこだわりの品を扱ういくつものスーパーで売られていること。その餃子を地元で製造できる工場をつくるために、苦労して補助金を得たことなどを、淡々とした口調で話してくれました。

その淡々とした口調が少し熱を帯びた瞬間がありました。「自分の子どもが食べている塩昆布の袋の裏側を見たら昆布なんて採れないところでつくってたんだよね。塩を洗い流してみたら、茶色くて薄い、質の悪い昆布を使ってるのさ。でも、ここにはこんなに質のいい昆布があるのに、ほとんどが加工をしないで外に出てしまう。浦河には、海もあって、山もあって、これだけ豊かな食材があるのに、もったいないよね」心から悔しそうに言う大久保さんを見て、この人は決して自分の商いさえうまくいけばいい、と思っている人ではないのだ、と思いました。

1月に入って初めてお店に行った時のこと。「この餃子が化学調味料無添加だったら扱ってくれると言われたお店がいくつかあって、なんとか実現できないか、いろいろ試してたんだけど、ようやく完成したのさ」。化学調味料の代わりに使ったのは、日高昆布と鮭の魚醤。以前から餃子の加工の相談をしていた研究員の人に「代わりになるものなら、大久保さんの目の前にあるじゃないですか」と言われて、気付いたそうです。完成した無添加餃子のラベルをどうしたらいいか、相談に乗って欲しいと言われました。


翌日、「うらかわ『食』で地域をつなぐ協議会」のメンバーの村下くんと、店舗の上の小さな事務室にお邪魔しました。私たちが参考にと持ってきた商品パッケージの資料に「いや、面白いね」と、身をのりだして見入る大久保さんを見ていると、こちらも楽しくなってきます。話はこれまで大久保さんがつくってきた商品の話にも広がりました。印象に残ったのは、大久保さんもその一員である「浦河料飲店組合」が共同で開発した「浦河産アイス」*のこと。海岸で、自分で海水をポリバケツに詰め、食品加工場に運び、アイスクリームに使う「浦河産の塩」を試作したというのです。「俺、おかしいでしょ」と笑う大久保さんを見て、この土地の恵みを生かして商品をつくっていくことを、本当に楽しんでいるのだなあ、と思いました。

その帰り、はじめて餃子の工場を見せてもらいました。「いや、工場っていっても本当に小さいんだよ」といいながら連れていってくれたのは、お店の裏にあるかつての浴場の建物。ドアを開けると、ツーンとタマネギの匂いが漂ってきます。働いているのは、2人のお母さん。姉妹だという2人は、一瞬にしてボロボロと涙を流しはじめた大の男たちの様子を見て笑いながら、和気あいあいと仕事をしています。大久保さんは「これが具を混ぜる機械。これが餃子をつくる機械。ここから餃子がでてくるの」と、少し誇らしげに説明してくれます。工場は、私が想像していたよりもずっと小さくて簡素なものでしたが、浴場のタイルを背景に小さな機械が置かれ、ふたりの姉妹が楽しげに働いている光景は、工場というより大きな台所のように感じました。


2月のある朝。大久保さんと8時に待ち合わせて、近くにある井寒台森林公園に向かいました。とっておきの場所に連れて行ってくれるというのです。「小さい頃、この川でザリガニとってたんだよね」などといいながら、ズンズンと山を登っていく大久保さん。勝手知ったる俺の山という雰囲気です。立ち仕事で腰に負担がかかるから、毎朝トレーニングのために山へ登っていると聞いていたのですが、大久保さんの姿を見ていると、トレーニングより何より、とにかく山へ登ることが楽しい、ということが伝わってきます。「この根の奥には、何か生き物が棲んでいると思うんだよね」「あの木には、たくさんキノコが生えるのさ」「この辺は、行者にんにくが一番早くに出る」などと言いながら、登っていった山の上には展望台が。連なる日高の山々と太平洋が一望できる絶好のスポットです。「ほら、すごいっしょ」と、胸を張る大久保さん。


ひとしきり山を案内してもらった後、そろそろ帰ろうと山を降りていく大久保さんの先に浦河の町が見えてきます。ああ、大久保さんは、毎朝、自分が子どもの頃から遊んでいた山に登り、この町の姿を眺めながら山を降りた後に、のれんをかけてお店を開け、餃子をつくるんだ、ということに気付いた時、あるやりとりを思い出しました。「いろいろな制度や支援などを探して活用するのが上手ですよね」と、何気なくいった私に、大久保さんは一言「必死だからじゃない?」と。どうして必死になるんですか、と重ねて尋ねた私に大久保さんは言いました。「ここにラーメン食べに来る若い子たちが、仕事がないから、と言って町をでていくのが悲しいんだよね。たくさん人がいる、賑やかな町であって欲しいんだよね」。餃子をたくさん売ることができれば、町に仕事をつくることができるかも知れない。ひとりでも、ふたりでも、町から出ていく若者が減るかも知れない。


普段のひょうひょうとした大久保さんと「必死」という言葉が、どうにもつながらず、その時はしっくりこなかったのですが、山にいる大久保さんの姿を見て、ようやく腑におちた気がしました。これだけ、山を、海を、川を、それらがある浦河のことを愛していれば、「必死」という言葉は納得が行くなあ、と。アパレルの営業マンからラーメン屋に転向することも、新聞で知った面識のない研究者に連絡をとって商品開発の相談にのってもらうことも、早朝から起きだして補助金申請のために慣れない書類を書くことも、私の中で全てがつながりました。

工場をつくるために借りたお金は、この3月で完済。餃子の売上は、ラーメン屋の売上に近づきつつあるそうです。人口が減りつつあるこの町の中に仕事をつくるには、町に暮らす人以外にも商いを広げていかなければならない。浦河が賑やかであって欲しいと願い、大久保さんが必死で試みてきたことは、少しずつ実を結びつつあります。



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ラーメン・餃子 まさご
北海道浦河郡浦河町堺町東1丁目11-1
TEL 0146-22-2645
11:30-21:30
月曜日定休

浦河餃子.com
http://urakawa-gyoza.com/

*浦河産アイスは「浦河料飲店組合」の加盟店で販売しています。

文・写真 宮浦宜子(うらかわ「食」で地域をつなぐ協議会 研修生)

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